昔こんなことを考えたことがあります。
「神様のお手伝いをすると神様が支援してくれる」って。
それは
「会社の仕事を頑張ると会社が支援してくれる」
「親の仕事を手伝うと親が喜んでくれる」
支援も人の喜びも自分を元気にさせてくれます。
辛くてもそれを楽しさに変えることが出来たとき
徳を積むことの楽しさを感じるのは
自分の中の本当の自分が支援しているような気がします。
それは
守護霊かもしれない。
トラックの荷台から後ろ向きで落ちたとき
亡き母の手を感じたのも支援だったかもしれない。
自分の後ろにはいろんな支援が居るんでしょうね。
昔友達がこんなことを言っていました。
「頑張ったら神様がお金持ちにしてくれる」って。
神様はお金持ちにしてくれるんじゃないと思う。
希望を叶える支援をしてくれただけだと思う。
お金持ちの希望は単なる小欲だと思う。
自分が良くなることは良いことだと思うけど
自分だけ良くなることに罪悪感が湧いてくる。
だって
お金持ちだと言うことは周りの人に言いたくないんだから。
これからは
みんなが良くなる大欲に頑張ったほうが良い。
みんなとは自分を含むから
自分が良くなるための罪悪感がない。
地球から支援をもらえるように
宇宙から支援をもらえるように
世界を一つの家族のようにする努力が良いと思う。
国益を考えるのは
「自分たちさえ良ければいい」って言うのと同じです。